旅館明治の南となりに、共同浴場「鷲(わし)の湯」があります。この名称は湯村温泉郷の次のような伝説からとったものです。町民に親しまれる公衆浴場として開放されていました。(現在は営業しておりません)
鷲の湯伝説と鬼の湯伝説 昔この辺りは、起伏した丘や沼地で、一面に萱草の生い茂った荒野でした。 あるとき一羽の鷲がどこからともなく飛んできて、日に二、三度萱草の中に姿を隠し、やがてどこかへ飛び去りました。
こんなことが七日ばかりも続いて、それからのちは、鷲はさっぱり姿を見せなくなりました。人々は不思議に思って、萱草の辺りを探して見ますと、かすかに白い湯気が立ち上るところがあったので、そこを掘り返すと、熱い湯がほとばしって湧き出しました。
人々は喜んで湯小屋を建てて入浴してみますと、湯の温度もちょうどよい湯加減で、諸病に効くことがわかりました。
病気の鷲が湯気につかり、全快して来なくなったことから、人たちはそこに温泉が湧くことを教えて貰ったわけで、この鷲は山の神様の現れであろうと、一社を建てて湯権現に祀り、その山を湯村山と名付けました。湯村には今でも「鷲の湯」という名前の古いお湯があります。
江戸の旗本に多田三八という武士がおりました。三八は湯村温泉の評判を聞いて、是非とも一度この温泉に入浴したいと思い、主人に暇を願い出て、はるばる甲府へ向かって旅立ちました。
その途中天目山の麓を馬に乗って通ると、道端に一本の大木があり、その枝の上に何か怪物がいて、ものすごい声で、「三八!」と叫びながら、恐ろしい腕をグッと延ばして三八の頭をつかみました。三八ももとより剛勇無双の勇士でしたから、少しも騒がず、心得たりと刀を抜いて頭上を切り払うと、丈八尺ばかりの天狗の翼を切り落としました。そこで怪物はギャーとものすごい叫び声をあげて、どこともなく逃げていきました。
そのうちに、雨風の激しく吹き荒れる日に、一人の大法師がやって来て、三八と同じ宿屋へ泊まり、同じ湯槽に来て入りました。その法師の身体を見ますと、背中の辺りに余程大きな切り傷の痕があります。 「まあ、大変な傷痕だけんど、坊さんはどうしてそんな怪我をしたでぇ。」 傍らの人が尋ねますと、その法師は何気なく答えました。 「これは前に多田三八という侍と、ちょっと戯れをして負った傷だ。それでこの湯へ入りに来たわけさ。」
先から湯槽の隅の方で、この話を聞いていた三八は、近くにおいてあった大刀を引き寄せると、スックと立ち上がり、「多田三八ここにあり!」と叫んで法師に斬りかかりました。法師もさるもの、飛鳥のように飛び上がって、スーッと風呂場を抜け出し、忽ち湯村山の方へ逃げ去りました。三八は抜刀のまま急いでその後を追ったけれども、ついに怪物を見失ってしまいました。
多田家では、この天狗の翼を代々持ち伝えて、今でも、所蔵しているといわれ、またそれ以来、この湯を「鬼の湯」と呼ぶようになったということです。 鷲の湯も鬼の湯も、湯村の湯の中では、ともに古いお湯だといわれています。
※ここで登場する江戸の旗本多田三八というのは、武田24将の多田三八(満頼)のことであると思われます。途中の聞き伝え・言い伝えで変わったのでしょう。